罪のないものだけが…

最近また夜にマック行って作業というか勉強をすることが多くなった。マックというのは存外勉強する場としてはちょうどいいものである。図書館とかだと静かすぎて逆に集中できないのだが、マックは適度な雑音があり、集中するのに適している。自分の部屋だとやる気が出ないけど、リビングだと勉強が捗るのと同じ理論だと思う。

だけど時々そういった理想の勉強環境に、問題が起こる時もある。

夜11時ごろになると時々総勢8〜10人ほどの兄ちゃんたちがやってきて、やたら大きい声で話しまくる、なんてことがある。その時はもう集中して勉強するのは諦めざるを得ない。

何が厄介なのかというと、こいつらは8〜10人っていう人数の多さの問題でうるさいというわけではないことだ。いやもちろんそれもうるさい原因なのだけど、深夜のマックに8〜10人で来るような元気な奴らは、まず一人一人が声がメチャクチャ大きいのだ。ただ普通に話してる声が常人の2.3倍はある。ただの普通のなんてことない会話なのに。それだけならギリまだしも、そいつらの笑い声はさらにとんでもなく大きい、そして汚い。下品。おまけにそういう奴らは見た目も金髪でチャラチャラした格好をして視覚的にもうるさい。ホントにうんざりする。

こういう奴らが来ると私は思わず顔をしかめ、「なんて迷惑な奴らだ。なんか痛い思いでもすればいいのに」なんて思ってしまう。ついつい文句を言いたくなったり、憎悪の念を向けてしまうのである。

しかし程度の差こそあれど、店からしたら私も「迷惑な奴ら」なのだろう。

ただ150円のホットコーヒーを買っただけで短くとも1時間、長いときには2時間3時間と四人分の席を使い勉強という名を借りた居座りを来る日も来る日も行っているのだ。

8〜10人ほどで来る奴らは、いる時はそれはもううるさいのだが、ほとんどの場合は私よりも遅く店にやってきて、私よりも早く店を出る。私と8〜10人ほどで来る奴らの両者が等しく「迷惑な客」だとするならば、私の方が遥かに迷惑をかけている時間は長いのである。

ともすれば私はうるさい奴らに対して、憎悪の念を向けるべきではない。私もマックに迷惑をかけているうっとおしい客なのだから。

憎悪の念、軽蔑の念を持ち、文句を言っていいのはただ純粋にマックにハンバーガーやポテトを食べに来ている、罪のない客だけである。

150円のコーヒーの私に石を投げる資格はない。

私も石を投げられる側の、「罪の女」の1人なのである。

みんなも何か嫌なことがあって、その人を攻撃したり、憎悪の念を向けたくなったりしても、まず石を投げる前に自分に罪がないのか問うてみよう。自分に石を投げる資格があるのかと。

そうすれば自ずと憎悪も消えて、他者への愛を忘れずにいられるだろう。

他の誰よりも私自身が実践しなければいけないことですね。